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【アラベスク】  第8章 荊の城



第3節 窮鼠、鶴を噛む [7]




 自宅で英語教室を開いていた母。明るく快活で、楽しい先生だと慕われていた。
 だが瑠駆真は嫌いだった。
「いじめられっ子のくまちゃんが、今じゃ学校中のアイドルか。今のお前の出世ぶり、初子先生に見せてあげたいよ」
「黙れよ」
 短く遮る。
「お前には関係ない」
「あぁ 関係ないさ」
 開き直ったような態度。
「俺にはまったく関係ない」
 (もた)れさせていた背を伸ばし、両手を広げて首を振る。
「以前のお前がどんなだったのか、今のお前がどんななのか、そんなの俺には関係ない」
 そこでピタリと首を止める。顎を右肩に乗せるように、少し傾げて相手を見やる。
「と、言いたいところだが、こちらにも少し都合というものがあってね」
「都合?」
 ニヤリと笑い、瞳を細める。
「知られたく、ないんだろう?」
 ギュッと眉根を寄せる瑠駆真。
「過去の自分を、大迫美鶴には知られたくないんじゃないのか?」
「お前」
「あの様子だと、大迫はほとんど何も知らないな。違うか?」
 激しさの増す視線に、だが小童谷は不敵に笑うだけ。
「無駄な否定はやめてくれよ。今ここで茶番を見せられても、一文の得にもならない」
 顔の横で、右手の人差し指をピンッと立てる。
「お前は、自分の過去を消し去りたい。お前はそういう奴だよ」
 小童谷が母の英語教室に通っていたとしても、瑠駆真との面識はほどんどない。瑠駆真の事を知っていると言ったって、それほど深くはないだろう。所詮はその存在と、陰気な性格と、蔑まされた扱いのほんの一部ぐらいをかじった程度の知識した持ち合わせてはいないはずだ。そうに違いない。
 そんな奴から断言され、だが瑠駆真はギュッと唇を引き締めるだけ。
「お前は、上辺は変わったようだが、本質は変わっていないよ。違うと言うなら否定してみろ」
 そんな台詞で瑠駆真の反撃を封じ込め、ゆっくりと一度、唇を舐めた。
「だが俺は、無条件にお前の過去をバラそうなどとは思っちゃいないさ。なにせ心の広い人間だからな」
 まるで、瑠駆真は逆に心の狭い人間だと言いたげな含みを漂わせ、立てた人差し指を瑠駆真へ向ける。
「その代わり、俺のお願い聞いてくれよ」
 左右に分けられた、顔の淵をなぞるように流れる前髪。少しは秋らしくなってきた風が、笑うように乱していく。
「お願い?」
「そっ 華恩のお茶会、出てくれよな?」
「はぁ?」
 お茶会? そんな事?
 あまりの他愛なさすぎに、気が抜けてしまう。
 だが、間抜けた瑠駆真の声と表情に、今度は小童谷が呆れ顔。
「お前、バカ?」
 乱れた前髪を指で払う。
「お茶会に出るってのがどんな意味なのか、お前わかってるのか?」
「意味? なんだそれ?」
「流言飛語」
 言葉の意味はわかっても、言っている意味はさっぱり理解できない。だが聞き返せばまた阿呆扱いされるのだろう。それが癪で言葉もでない。
 無言のまま睨み返す瑠駆真に、小童谷はホッと小さくため息。
「お前が華恩のお茶会に出た後、たとえばこんな噂が流れたとしたら?」
「?」
「山脇君、廿楽先輩とお付き合いなさってるんですって」
 女子生徒の真似をしているのか、少し裏返した声はまるで茶化している。
「はぁ? 何それ?」
 たかがお茶会くらいで?
「仲睦まじくお茶を楽しむ二人の姿に、女子どもが嫉妬して噂を流さないとも限らない。もしくは」
 チラリと、瞳が光る。
「意図的に、噂が流されることも」
「誰が」
「華恩かその子分」
「なんで?」
「それが華恩の目的だから」
 華恩のヤツ、怒るかな? 怒るだろーなぁ。
 気位の高い顔が気色ばむのを思い浮かべ、小童谷は内心で苦笑する。
 でもまぁ この際いいんじゃない? ようはコイツを手に入れられればいいワケだし。
 そうでしょ? 女王様。
 一方、ようやく事を理解した瑠駆真は、バカバカしいとばかりに視線を逸らす。
「だったらやっぱりお断りだね。そのお茶会ってヤツ」
「じゃあ、バラされてもいいんだね」
 っ!
「ねぇ? くまちゃん」
 交差する視線。散る火花。







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